感恩的心

     劳动节休假回家时,母亲特意准备了一桌饭菜,虽然很普通,但是对我来说有着特殊的意义。父亲,母亲和我三人围坐在桌边,吃饭前我说了句“いただきます!”。如果是以前,我什么都不说就开始吃了.但这次不知不觉就说出了对妈妈由衷的感谢,心情一下子变得开朗很多.为什么会有这样的感觉,我试着在问我自己.

 事实上,前段时间,我的一个日本朋友来家里做客,和全家人一起共进了晚餐.这位日本朋友说了“いただきます”,大家都感到非常惊讶,也许是因为听不懂日语的缘故,但不仅仅是这种原因.我们中国人吃饭之前一般是不说那样的话的,但是朋友随着一句感恩的“いただきます”谢了款待.我向家人解释道:日本人吃饭前,总是怀着对为我们准备可口饭菜的父亲,母亲,以及广大的劳动者,大自然的感恩之心的.我一边做着解释,一边也发现了自己从小就没有那种感激之情。

我在想,那时因为中国和日本饮食文化的差异呢,或者只是自己的心情而已,和这两个原因有没有关系呢.自古以来,中国和日本就是有着悠久历史文化的国家.不仅日本,中国社会也发生了巨大的变化.作为邻国的日本,近年来虽然经济发展得很快,但日本人民仍然保留着一些优良的传统.“いただきます”就是其中一个谁也不会在意,但绝对不能缺少的词汇。

在中国又是怎样的呢.中国被称之为是“义礼的社会”.但是,中国社会在前进的同时,义礼也在悄悄地消失着.那就是感恩的心.因为现在社会金钱的价值观,很多人甚至把金钱当看作自己的父母,惟利是图,却忘记了父母和广大人民群众的养育之恩.伟大的领袖毛泽东曾经说过:饮水思源!短短四个字,却包含了深刻的道理:源就是人民,因为有了大众,所以才能喝到甘甜的水.也就是说:所有的来自劳动者全部的恩惠,不管到什么时候都不能忘记吧!

我向母亲表达“いただきます”的时候,母亲有点惊讶,而后理解了我的意思,露出了微笑.我和母亲的心情都很愉快.各位,今天您试着说了“いただきます”了吗?

 

恩を感じる心

 

     労働節休暇で家に帰ったとき、わざわざ母に料理を作ってもらいました。普通の食べ物なのに、特別な意味をこめました。父,母と私は3人で食卓を囲んで、食べる前に私は「いただきます!」と言いました。以前だったら、何も言わないで食べ始めました。でも、今回はなんとなく母に感謝の気持ちを伝え、明るく感じていました。なぜ、このような感じになったのか、自分に問いかけてみました。

     実はこの間、一人の日本人の友達がうちで家族と一緒に食事をしました。友達が「いただきます!」と言い、みんな本当に驚きました。日本語がわからなかったこともありますが、それだけではありません。私達中国人はみんな何も言わないで食べ始めるのが普通です。しかし、友だちは食事をする前に、感謝のことば「いただきます」を言って食べ始めたのです。私は家族に日本人は食事の前に「食事を作ってくれた人=おかあさん、食事が食べられるようにしてくれた人=おとうさん、そして、米や野菜を作ってくれた人=労働者、食料ができる自然、そんな全てのものに感謝して『いただきます』を言うのだと説明をしました。説明をしながら、私は小さい頃から、そんな「いただく」と言う感じを一度も持たなかったことに気が付きました。

    それは、中国と日本の食文化の違いなのか、あるいは自分の気持ちだけなのか、その二つの原因と関係があるかどうか、考えてみました。昔から中国と日本ははるかな歴史がある国です。日本だけでなく、中国の社会も大変変わっていきました。隣国として見た時に、最近経済がますます進んでも、日本人は相変わらず良い習慣を守り続けています。それは「いただきます」という一つのあまり誰も気をつけないけれど、絶対に忘れない言葉です。

     中国ではどうでしょうか、中国は「儀礼の社会」と言われています。しかし、中国の社会が進むとともに、「儀礼」がだんだん失われてきていると思います。それは「恩を感じる心」です。今の社会はお金の価値観によって、多くの人はお金を親に例えるほど、大切にしています。ひたすら利益のみを追求しています。そして、親と大衆の育ててくれた恩を忘れてしまいました。かつて(もたくとう)毛泽东は「飲水恩源」と言いました。日本語では「水を飲むとき、その源を思う」という意味です。「源」(源)とは大衆ということです。大衆がいて、甘い水が飲むことが出来るのです。つまり、労働者からの全ての恩をいつまでも忘れてはいけないということではないでしょうか。

     私が母に「いただきます」と言ったとき、母はちょっと驚いて、そしてその意味を理解して微笑みました。私も母も気持ちが良かったです。みなさん、今日、「いただきます」と言ってみませんか?

    御清聴、ありがどうございました。