日本の思い出-“父”と私と日本―

     5年前、私は研修生として日本へ行きました。広島の株式会社ノーブルイングに勤めていました。この2年のことです。この2年のことを今でも忘れられません。時々夢の中に出てきます。友達と話していると、この話題になり、懐かしく感じることがあります。2年は短いです。しかし、この2年間は私に大きな影響を与えました。

      私は結婚したその2日後に日本へ行きました。最初、日本の習慣や言葉になかなか慣れず、苦労しました。毎日カレンダーに赤い丸をつけて、その日を見て、「いつ帰ろうかな」と思っていました。そして主人や家族のことを思い出しました。家族と別れたのがまるで昨日のことのようです。

     そんな時、会社の近くに住む小野さんというおじいさんと友達になりました。おじいさんは私の心の支えになりました。おじいさんはともて優しいし、中国語も少し分かります。暇な時、よく私達のアパートに来てくれました。いつも日本の習慣や文化などについて、話をしているうちに、いろいろな話題になりました。おじいさんはいつも明るく朗らかで、冗談を言って、よく私達を笑わせてくれました。そのため、アパートに活気が出てきました。おじいさんはまるで私の本当の父のようでした。

     休みの日、おじいさんに連れられてあちこちと綺麗なところに行きました。おじいさんはカメラを持って、たくさん私達の写真を撮ってくれました。その時のみんなの笑い声が今でも、耳の奥に残っています。もちろんその時の写真もまだ、大事にとってあります。

     おじいさんと同じ親切な日本の方とたくさん友達になりました。みんなのお陰で日本の生活は寂しくなくなりました。

 時が流れ、私は母親になりました。ですけれども、その時のことは、今でも忘れません。また日本へ行きたいと思っています。そして私の日本の父に会いたいです。その思いはずっとずっと、強く頭の中に残っています。

     去年、チャンスがあり、上海精華に入りました。今、私は一生懸命勉強しています。今年の12月にある能力試験を受けたいと思っています。そして卒業後、日系企業に入りたいです。もちろん、会社に入った後も日本語を勉強し続けようと思っています。みなさん、一緒に夢をかなえるために頑張りましょう。